当店の創業当時は、桐下駄の製造と草履販売がメインだったことは、WEBサイトの当店の歴史ページでもご紹介している通り。地方都市に革靴がやってきたのは、実はそんなに昔ではなくて、歴史的にはごく最近です。(東京は100年前ならある程度のお金持ちは革靴を履いていたようです)
こちら
そして、この度、発掘した昔の店舗の写真です。半世紀以上前であることは確実ですが、具体的にいつ頃の写真かは不明です。「センスがどうのこうの」と手書きの札があちこちにあって、こうして見るとかなりアレですね。(笑)今思えば業態転換してよかったと思える写真です。ただ、変わっていないのは、展示の間隔。この頃からギッチリ隙間なくて、センスのかけらも感じられない・・・。
ただね、この頃の直江津はそれは栄えていて、駅前から港までの数キロにわたって商店が林立していたほとでした。僕の世代ですら記憶があるくらいなので、ほんとについ最近まではそうだったのです。(と言ってもここ20年くらいか?)
ところが、今の直江津はみんな東京(や大都市)に出て行ってしまって、高齢化も急速に進んでいて、夜7時になると灯もなく猫も歩いていない始末。地方とか関係なく頑張れる環境が整っているにも関わらず中央へどんどん人が吸い寄せられていく現状には、正直看過することはできません。
だからといって、僕らだけで街をどうにかできる状況でもないでしょ〜。
この街だけではないのだけれど、コロナ禍以降は全国的にこういう町がどんどん増えて行っているのかな。東京などの一極集中がずっと続くのかなと思うと、ちょっと悲しいよなぁと思うこともあります。
年始の地震で能登が大変な被害を受けましたよね。少しして台湾も同程度の地震がありました。ところが、台湾は行政や民間パワーが素晴らしく、あっという間に復興の道へ進んでいるのに、能登半島はというと報道の通りです。これも人がいなくなっている弊害なんでしょうか。でも納得はいっていません。もっともっと、国で様々な支援をしてあげるべきだと思うんです。
想定外だったから? それは違うでしょ? 関東大震災、新潟地震、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、・・・・この100年で数え切れないほどの災害にあっているのに、想定外だったからというのはちょっと違うよなぁって思います。もっと真剣に、今年中に台湾が成し遂げているシステムを取り入れて、日本独自の防災被災時システムを構築していくべきだと考えています。いざとなったら国が助けてくれる。そう思えないんじゃ地方に住んでいる人々の心は荒むと思う。そして、中央一極集中へとすすむのか・・・・。それでいいのか?
(僕らもいい歳だからいつまでやれるか分からないけれど、とりあえず買いに来てくれるお客さんがいる間は、この生まれ育った町で、生活と仕事を続けていきたい)
話がだいぶそれてしまったけれど、今日はいいことも沢山ありました。
遠くポーランドに行っていたご夫婦が久しぶりに帰国して、ひょっこり顔を出して買い物してくれました。なんの連絡もなくひょっこりと。サプライズ的で嬉しいですよね!
また秋田県からももう長くご贔屓してくださっているNさんがきてくれた。やはりこちらもノーアポですけど、うれしいじゃないですか。まるで、近所の行きつけの店に来るみたいで。
またまた、地元の妙高からもお客さんが来てくれて、新しいお客さんを連れてきてくれました。高級革靴は持っていないそうなので、いろいろなブランドをご案内して小一時間ほど楽しんで頂きました。
こういう日常の風景や大切な人たちとの繋がりって、本当にありがたいよね。そう思える年代にもなってきたんだろうなぁ。
たった一枚の古い写真からこんなにも心の内を吐露するなんて、思いもよらないことでしたが、ここからまた何かが生まれる予兆なのかもしれません。
人間塞翁が馬。
人生悪いことがあれば、良いこともある。その繰り返される激流の中をこれからもただひたすらに泳ぎ続けるだけなのです。
こちら
そして、この度、発掘した昔の店舗の写真です。半世紀以上前であることは確実ですが、具体的にいつ頃の写真かは不明です。「センスがどうのこうの」と手書きの札があちこちにあって、こうして見るとかなりアレですね。(笑)今思えば業態転換してよかったと思える写真です。ただ、変わっていないのは、展示の間隔。この頃からギッチリ隙間なくて、センスのかけらも感じられない・・・。
ただね、この頃の直江津はそれは栄えていて、駅前から港までの数キロにわたって商店が林立していたほとでした。僕の世代ですら記憶があるくらいなので、ほんとについ最近まではそうだったのです。(と言ってもここ20年くらいか?)
ところが、今の直江津はみんな東京(や大都市)に出て行ってしまって、高齢化も急速に進んでいて、夜7時になると灯もなく猫も歩いていない始末。地方とか関係なく頑張れる環境が整っているにも関わらず中央へどんどん人が吸い寄せられていく現状には、正直看過することはできません。
だからといって、僕らだけで街をどうにかできる状況でもないでしょ〜。
この街だけではないのだけれど、コロナ禍以降は全国的にこういう町がどんどん増えて行っているのかな。東京などの一極集中がずっと続くのかなと思うと、ちょっと悲しいよなぁと思うこともあります。
年始の地震で能登が大変な被害を受けましたよね。少しして台湾も同程度の地震がありました。ところが、台湾は行政や民間パワーが素晴らしく、あっという間に復興の道へ進んでいるのに、能登半島はというと報道の通りです。これも人がいなくなっている弊害なんでしょうか。でも納得はいっていません。もっともっと、国で様々な支援をしてあげるべきだと思うんです。
想定外だったから? それは違うでしょ? 関東大震災、新潟地震、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、・・・・この100年で数え切れないほどの災害にあっているのに、想定外だったからというのはちょっと違うよなぁって思います。もっと真剣に、今年中に台湾が成し遂げているシステムを取り入れて、日本独自の防災被災時システムを構築していくべきだと考えています。いざとなったら国が助けてくれる。そう思えないんじゃ地方に住んでいる人々の心は荒むと思う。そして、中央一極集中へとすすむのか・・・・。それでいいのか?
(僕らもいい歳だからいつまでやれるか分からないけれど、とりあえず買いに来てくれるお客さんがいる間は、この生まれ育った町で、生活と仕事を続けていきたい)
話がだいぶそれてしまったけれど、今日はいいことも沢山ありました。
遠くポーランドに行っていたご夫婦が久しぶりに帰国して、ひょっこり顔を出して買い物してくれました。なんの連絡もなくひょっこりと。サプライズ的で嬉しいですよね!
また秋田県からももう長くご贔屓してくださっているNさんがきてくれた。やはりこちらもノーアポですけど、うれしいじゃないですか。まるで、近所の行きつけの店に来るみたいで。
またまた、地元の妙高からもお客さんが来てくれて、新しいお客さんを連れてきてくれました。高級革靴は持っていないそうなので、いろいろなブランドをご案内して小一時間ほど楽しんで頂きました。
こういう日常の風景や大切な人たちとの繋がりって、本当にありがたいよね。そう思える年代にもなってきたんだろうなぁ。
たった一枚の古い写真からこんなにも心の内を吐露するなんて、思いもよらないことでしたが、ここからまた何かが生まれる予兆なのかもしれません。
人間塞翁が馬。
人生悪いことがあれば、良いこともある。その繰り返される激流の中をこれからもただひたすらに泳ぎ続けるだけなのです。
コメント